いま大注目の特定技能ビザとは!?ネパール「フロンティア教育グループ」宮村俊一さん【うるま市出身応援企画】

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いま大注目の特定技能ビザとは!?ネパール「フロンティア教育グループ」宮村俊一さん【うるま市出身応援企画】

みなさんこんにちは。

 

今回のうるま市ポータルは、大好評をいただいている「うるま市出身応援企画」です。

 

うるま市ポータルとしては初めて、海外で活躍してるうるま市出身者の特集記事となります。

 

嬉しいことに「うるま市ポータル」もグローバルに展開させてただいています!!(感謝)

 

今回の記事でご紹介させて頂くのは、ネパールにて「フロンティア教育グループ」という日本語学校の運営サポートをしている、うるま市出身の「宮村俊一」さんです。

 

現在はネパールで大活躍中の宮村さん、学生の頃はバレーボールで日本代表選手に選ばたこともある、日本バレーボール界のスーパースターだったそう。

 

バレーボールのお話以外にも、過去に東京警視庁で警察官として働いていた時の経験や、学校運営の広報というお仕事で海外を飛び回っていた時の経験談など、興味深い話をたくさん聞かせてくれました。

 

宮村さんは2015年にネパールへ移住し、現地ネパールの方と協力し「フロンティア教育グループ」という日本語学校を立ち上げ、これまでに延べ200名以上のネパールの方を日本へ送り出すサポートをしてきました。

 

宮村さんがネパールで立ち上げた「フロンティア教育グループ」では、

 

  • ビザ取得時に必要な日本語及び技能資格の対策授業サポート
  • ビザ申請書類の作成サポート
  • 日本側受け入れ先の案内及び選定サポート
  • ネパール語翻訳業務

 

などを行っています。

 

特に、今回の取材で最も興味深かったのが「特定技能ビザ」のお話。

 

日本における少子高齢化による人手不足を解消するため、2019年から施行された新たな在留資格「特定技能ビザ」では、外国人労働者の受け入れ先国としてネパールにも注目が集まっているといいます。

 

宮村さんが立ち上げた「フロンティア教育グループ」でも「特定技能ビザ」での送り出しをバックアップしていて、ネパール現地の現状についても詳しく取材させて頂きました。

 

ぜひぜひ最後までご覧になってください。

「フロンティア教育グループ」とは?

「フロンティア教育グループ」は、宮村さんが2015年にネパールにて立ち上げた日本語学校です。

 

「フロンティア教育グループ」は、ネパールの首都カトマンズに本校があり、その他「ブトワール校」「ダラン校」「カランキ校」の計5校を運営していましたが、コロナ禍の影響により「ダラン校」「カランキ校」は現在閉校しています。

 

冒頭でもお伝えしましたが、「フロンティア教育グループ」の主な事業内容は以下の通りです。

 

  • ビザ取得時に必要な日本語及び技能資格の対策授業サポート
  • ビザ申請書類の作成サポート
  • 日本側受け入れ先の案内及び選定サポート
  • ネパール語翻訳業務 

 

「フロンティア教育グループ」は日本で学びたい、日本で働きたいネパール人をバックアップ

\特定技能ビザ/ネパールの方が日本の特定技能ビザを取得するには、一般的なビザ申請書類に加え「日本語能力試験」(JLPT)の4級以上または国際交流基金日本語基礎テスト(JFT試験)のA2、そして申請する職種の技能分野試験に合格したという証明書が必要となります。

 

フロンティア教育グループでは特定技能ビザの対策授業と並行して留学ビザに必要な日本語指導も行っています。

 

また、日本の入国管理局は世界的に見てもビザ申請の書類手続きが複雑だそうで、さらには申請書類や証明書に誤字脱字が一つあるだけでもビザが不交付となってしまう厳しいチェックがあり、一般の人には書類作成がとても難しく、時間のかかる手続きだそうです。

 

フロンティア教育グループでは、そのようなビザの申請及び作成サポートも行っています。

 

そして日本へ行きたいネパール方に、日本の文化や特色、受け入れ先の学費案内や校風紹介などを行っています。

 

2019年4月に施行された「特定技能ビザ」取得者の日本への送り出しを積極的に行っていて、2021年10月現在「介護種」「農業(耕種・畜産種)」「外食業種」の試験が現地ネパールで行われており、その送り出しサポートも行っています。

 

実際に、沖縄県うるま市の農家さんより3名の受け入れ内定もいただいているそうです。

 

宮村さんは、フロンティア教育グループの運営に深く関わる特別アドバイザーを務め、在ネパール日本人会商工部会教育人材育成分科会長も務めています。

特定技能ビザとはなんだろう?

特定技能ビザとは2019年4月から施行された新しい制度です。

 

たとえば、これまで一般的な外国人にも日本で就労が認められているビザは以下の3つです。

 

  • 就労ビザ(入国管理局が定める外国人特有の技能や技術が認められるもの)
  • 留学ビザ(資格外活動申請)
  • 技能実習生ビザ

 

それぞれ簡単にご説明します。

 

就労ビザ(入国管理局が定める外国人特有の技能や技術が認められるもの)

 

「就労ビザ(入国管理局が定める外国人特有の技能や技術が認められるもの)」というのが正式名称ではありませんが、つまりは入国管理局が定めた規定の中で、日本の企業や日本の学校などが欲しい人材、高い技能や技術をもっている外国人に日本で働いてもらう為のビザです。

 

留学ビザ

 

留学ビザはその名の通り、留学のために来た外国人の学生が必要とするビザです。

 

留学ビザでは基本的に就労が禁止されていますが、入国管理局へ「資格外活動」と言う申請を出し承認を得ることで、週に28時間を上限として就労ができます。

 

ネパールから入国する方の大部分を占める留学ビザは、その規則を守らない学生が多くなっているそうです。

 

その結果入国管理局の審査も年々厳しくなり28時間以上の労働を繰り返しているとビザ更新が認められず、最悪の場合強制送還になる事もあるそうです。

 

技能実習生ビザ

 

技能実習生ビザの目的は日本独自の高度な技術・技能を学び、それを自国へ持ち帰り活かしてもらう「技能の移転」が主目的となるビザです。

 

日本の技術力を、他の国の発展に繋げるという国際的な社会貢献が目的のビザになるので、技能実習生ビザでは単純な労働は認められていません。

 

例えば、工場の流れ作業・飲食店の接客やコンビニのアルバイト等の仕事は技能実習生ビザでは認められていません。

 

また、技能実習生ビザで来日している外国人は、基本的に実習生を受け入れる機関が策定したカリキュラム・実習スキームを元にビザが交付されるので、最初に受け入れたられた職場を変更することができません。

 

そのため、一部の悪質な経営者や受け入れ機関が技能実習ビザで来日した外国人労働者へ人権を無視したような待遇や劣悪な環境で就労させることが増え、実習生が逃げ出し不法滞在者となったり、自殺をしてしまうと言う問題も抱えています。

 

技能実習ビザで滞在できる最大の期間は5年間となり、もっと日本で学びたいと思っている外国人の方や企業側にとっても「やっと育ってきた、これから!」という5年目に既定のビザ期間が切れてしまい、泣く泣く帰国ということもおおいそうです。

 

労働不足緩和のために新しく施行された「特定技能ビザ」

みなさんもご存知の通り今日の日本では少子高齢化が進み、労働人口不足という大きな問題を抱えています。

 

あなたの周りにも仕事の依頼はたくさんあるのに、一緒に働いてくれる人材が集まらないと困っている企業の方や、個人事業主の方がいらっしゃるのではないでしょうか?

 

労働力不足を解消するには人口の増加が不可欠ですが、出生率を上昇させるのは現状を考えると可能性は低く、また即効性もありません。

 

そのような日本の労働人口不足を補うためにつくられたのが、特定技能ビザという制度なのです。

 

これまで日本は、外国人労働者の受け入れを一部の職種に限定していました。

 

特定技能ビザでは、これまで就労が認められていなかった飲食業や農業、介護を含めた14業種で外国人労働者を就労させることができ、基本的に1人通算5年間人材を受け入れることができます。

 

特定技能ビザ〜特定産業分野14業種

 

  1. 介護業
  2. ビルクリーニング業
  3. 素形材産業
  4. 産業機械製造業
  5. 電気・電子情報関連産業
  6. 建設業
  7. 造船・舶用工業
  8. 自動車整備業
  9. 航空業
  10. 宿泊業
  11. 農業
  12. 漁業
  13. 飲食料品製造業
  14. 外食産業

 

また特定技能ビザでは、受け入れ時の入管既定の中で「外国人労働者への待遇も日本人と同等に保証しなければならない」という働き手の労働環境についても保証する内容が含まれています。

 

特定技能ビザ制度は労働力不足の打開策になるか!?宮村さんに聞いてみました。

 

労働人口不足を緩和するため、2019年に新しく施行された特定技能ビザ制度。

 

特定技能ビザは、まだまだ未知数な部分もあるの制度であると宮村さんは話してくれました。

 

現在は日本の入国緩和待ちの状態にある

 

それもそのはず2019年4月から施行された特定技能ビザ制度。

 

直後に訪れたコロナショックはネパールも例外ではなく、日本より数段厳しい制限が課されるスーパーロックダウンが何度も起きているそうです。

 

日本も2021年10月現在、特定技能ビザでの新規入国を許可していません。

 

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「日本への特定技能ビザでの送り出しの準備はできています。実際に沖縄県うるま市の農家さんにも内定者がおり現在ビザ申請の途中です。あとは、日本の入国緩和次第です。」

 

フロンティア教育グループでは特定技能ビザを利用し、日本への渡航準備ができている希望者が多く待機している状態だそうです。

 

あとは、日本の入国緩和がいつなされるか。

 

送り出し企業を選定する苦悩

 

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「特定技能ビザでの受け入れについて問い合わせも増えおり、今後も送り出しが活発になると思います。しかし、課題もあります・・・」

 

特定技能ビザでは、日本の労働者と同等の待遇を保証しないといけません。

 

しかし、受け入れ先の企業の中には外国人労働者を安く、また就労時間を長く働かせようとする企業さんもいらっしゃるとか。

 

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「送り出す希望者にも、受け入れてもらった企業者さんにも喜んでもらいたい。その責任が僕にはあると思っています。」

 

宮村さんに聞くと、ネパールの人はシャイで温厚な性格の方が多いとか、そんなネパールの希望者を心から気遣っている様子が伝わってきました。

 

送り出し先の企業を選定する作業は、とても気を使い苦労するそうです。

 

日本側の受け入れ体制の大きな課題

 

日本へ渡航したいネパールの方を、これまで200人以上サポートをしてきた宮村さん。

 

日本の入国審査にも大きな課題があるといいます。

 

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「日本人としては残念なことではあるが、ネパールの優秀な人は、まずオーストラリアやアメリカ、ヨーロッパに行きたがります。理由は単純でビザの申請書類が日本に比べ格段に少なく簡単でスムーズ、審査にも透明性があり入国後の待遇も日本より格段に良いからです。また英語圏と言う事も大きな理由になっていると思う。」

 

なぜネパールの優秀な人材はアメリカ・オーストラリアに行きたがる!?

 

日本のビザ申請は、他国に比べてとても複雑で厳格、さらには申請の結果が来るまでに数か月の時間がかかるという問題もあります。

 

ちなみにオーストラリアは最短で24時間で結果がでるそうです。

 

これらの理由から、ネパールの優秀なエリート人材はオーストラリアやアメリカへ渡ってしまう傾向にあるそうです。

 

他のアジアの発展途上国にも、似たようなことが起きていると予想できますね。

 

また、第二言語として小学校1年生から英語の授業があるネパールでは、英語圏であれば比較的簡単にその国の生活になじめると言う理由もあるそうです。

 

企業も国も受け入れ体制もしっかりと整えておかないと、このままでは日本以外の国へ優秀な人材が流れて行ってしまい世界に取り残されてしまうと懸念していました。

 

日本政府は、5年で34万人の特定技能ビザ受け入れを予定しますが、現在はコロナの影響もあり受入人数は予測を大きく下回っている様子。

 

今後、特定技能ビザはどのような展開を迎えるのか気になる所です。

 

特定技能ビザでネパールの外国人労働者を受け入れるには?

2021年10月現在、特定技能ビザ取得のため「介護種」「農業(耕種・畜産種)」「外食業種」の3種の試験が先行してネパール現地で行われているそうです。

 

今後、その他の11種の試験も随時始まる予定だそうです。

 

日本で働きたいネパールの方が特定技能ビザを取得するためには、まず特定技能ビザ申請を行うため各種必要分野の試験に合格しなければなりません。

 

試験合格後、受け入れ先の企業と面談を行い、雇用が内定するとビザ申請を行います。

 

一方、外国人労働者を受け入れる企業や事業主は。

 

  1. 人材の募集
  2. 雇用契約を結ぶ
  3. 支援計画を作成する
  4. 在留資格申請を行う

 

上記を行う必要があります。

 

それから、特定技能ビザで外国人労働者を受け入れるには、外国人労働者のための支援を行う必要があります。

 

  1. 事前ガイダンス
  2. 出入国する際の送迎
  3. 住居確保・生活に必要な契約支援
  4. 生活オリエンテーション
  5. 公的手続等への同行
  6. 日本語学習の機会の提供
  7. 相談・苦情への対応
  8. 日本人と交流促進
  9. 転職支援
  10. 肯定的な面談・行政機関への通報

 

実際は独自で上記の支援をすべて行うのは難しいらしく、外国人労働者の支援を行っている支援機関に委託することが一般的だそうです。

 

フロンティア教育グループでは、特定技能ビザの送り出しを全面バックアップ

宮村さんが特別アドバイザーを務めるフロンティア教育グループでは、ビザ取得の為の試験対策から、日本の企業へ送り出すまでのサポートを一貫して行っています。

 

支援機関との繋がりもあり、各都道府県にある支援機関の紹介も可能だそうです。

 

すでに紹介した通り、特定技能ビザでの沖縄県うるま市の農家さんへの受け入れ内定を頂いており、日本への入国緩和を待つ生徒も3名すでにいらっしゃるそうです。

 

外国人労働者について受け入れを検討してる方は、ぜひ下記のURLからフロンティア教育グループへご相談してみてください。

 

>フロンティア教育グループ

 

【うるま市出身】バレーボール界のスーパースター!!宮村俊一さん

2021年に38歳をむかえる、うるま市字具志川出身の宮村俊一さん。

 

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「春高、国体、インターハイの県大会と九州大会でも優勝して、高校生の日本代表にも選ばれました!!」

 

と、語る宮村俊一さん。

 

学生の頃は、バレーボールやビーチバレーでそうとう大活躍していたご様子。

 

うるま市の具志川東中学校時代には、大阪で開かれた全国さわやか杯に沖縄県選抜選手として出場。

 

そして美里工業高校へ進学後には、インターハイ・春の高校バレー(春高)・国体の県大会、そして九州新人大会でも沖縄県勢初の優勝を経験、チームではエースアタッカーを務めたそうで、高校生日本代表にも選ばれた沖縄バレーボール界のスーパースターです。

 

全国3位まで上り詰めた大学時代!!警視庁時代

大学は順天堂大学へ進学し、同世代にはオリンピックで活躍した「ゴッツ」や「越川」選手も居たそうです。そして全日本バレーボール大学男女選手権大会では2年連続3位にまで上り詰めたそうです。

 

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「僕がいた時代は、関東一部リーグに所属する大学バレーボールチームは指導環境や上下関係がとても厳しかった。うちなんちゅとして、その環境に耐えきれたのは珍しい方だと思う。でも日本のトップリーグに身を置くことで、プロの世界を間近に見れた。」

 

大学バレーボール界は、当時関東の一部リーグに所属する8チームがそのまま全国大会のベスト8のチームとなるほど強豪がひしめきあっていたそうで、厳しい競争と人知れない苦労の中でバレーボールに励んでいたそうです。(苦労話しはとてもここには書ききれない・・・・)

 

大学を卒業後は、東京の警視庁で警察官として交番勤務を務めながら、警視庁フォートファイターズ(現V1リーグ)でプロ選手の一員として活躍していたそうです。

おばあちゃんを介護の為、警視庁を辞める決意

警視庁で警察官として働き、同時にバレーボールでもプロ選手として活躍した宮村さん。

 

27歳の時に、沖縄へもどる決心をします。

 

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「祖母が病気で、もう長くない事を知り、僕が看病をしたいと思い沖縄に戻ることにしました。」

 

中学時代に父子家庭となり、大学時代にその父親を亡くした宮村さんはおばあちゃんが病気でもう長くないことを知り、自身で看病をすると決心し警視庁を辞め沖縄へ戻ることにしました。

 

うるま市にある与勝病院で入院するおばあちゃんを看病し、最期を看取ります。

 

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「祖母には小さなころから迷惑かけっぱなしで、不器用な自分にはバレーボールで活躍することが恩返しだと思ってきました。自分としては警視庁の警察官を退職してでも、最後まで看病しながら傍に居ることができて本当に幸せで今でも最善の選択だったと思っています。」

バレーボールでベトナムプロリーグを経験

おばあちゃんの看病を終え落ち込み気味の宮村さんに、ベトナムプロリーグでトライアウト(入団テスト)があると言う情報が入ります。

 

なんでも、大型選手じゃなくても良いのでコートの中で司令塔の役割をこなす器用な選手を探していると言うことでした。


宮村さんは身長185cmと一般的には高身長の部類に入りますが、プロバレーボール選手の中では中型から小型となると言います。


ベトナムは日本同様バレーボールが盛んな国で、人気のカードとなると数万人の体育館が埋まってしまうことはざらにあるそうです。


日本人初のベトナムプロ選手と言う事もあり、すぐにトライアウトを受けにベトナムへ渡り、見事テストに合格しました。

そしてプロバレーボール球団の一つ、SANEST KHANH HOA(サネスト・クァンフォア)というチームの助っ人外国人として遠く離れたベトナムの地でも、もちろん大活躍したそうです!!

教育関係のキャリアスタート、学校法人の広報そして副校長時代!!

ベトナムのプロリーグで活躍した宮村さん、そのままベトナムのプロ選手としてバレーボールを続ける、又は指導者としてのオファーもあったとのことのですが、バレーボールを一旦お休みし、これからの人生について本気で考え、すごい行動を起こします。

企業にビジネスを教えてほしいと電話をかけまくる

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「税理士、コンサルタント、〇〇会社という名前のついた企業や団体を、あいうえお順にタウンページから抜き出し、気になったところに片っ端から電話をかけてビジネスについて教えてください!!とお願いをしました。」

 

なんと宮村さんは気になる沖縄の企業や会社に片っ端から電話をかけてビジネスに関する指導を頼み込んだそうで、実際に50を超える企業や団体さんに電話をかけたそうです。

 

もちろん、どこのだれかもわからない宮村さんをほとんどの企業は相手にしてくれなかったそうです。(涙)

 

しかし、度胸を気に入り話を聞いてくれた数人の経営者に会うことができたそうです。

 

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「それから半年程経ったころ、お会いした経営者の中の1人から専門学校を新しく運営すると連絡がありました。僕の度胸を買ってくれて是非僕に広報として仕事をして欲しいとありました。」

 

そこから宮村さんは教育関係の仕事をスタートします。

 

外国語学校の広報を務め、海外から学生を定員一杯まで呼び込む

宮村さんが働いたのは外国人も受け入れる専門学校。広報を担当した宮村さんは、ネパールやモンゴル、ベトナムを飛びまわり、海外の大学や日本語学校と提携契約を結び日本で学びたい学生を集める仕事を担当します。

ベトナムでのプロバレーボール選手の経験から、いつかは日本と外国を繋ぐ国際的な仕事に携わりたかったという宮村さん、広報の学生募集でもめきめき実力を発揮します。

 

毎回、受け入れ可能定員数いっぱいまで生徒を呼び込む実力を発揮したそうです。

 

実力を認められ、キャリアスタート3年目でいきなり副校長に昇進

広報として活躍していた宮村さん。キャリアスタートした3年目には、なんと学校の副校長にまで昇進します。

 

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「実はその専門学校とは、後に私の考え方として譲ることが出来ない思いとぶつかり退職したのですが、是非うちの学校で働いて欲しいと別の学校の経営者から依頼がありました。」

 

そこで宮村さんは自分の実力を認め、さらに力が発揮できる形を承諾してもらうことを条件に副校長として働きながら更に躍進していきます。

ネパールでフロンティア教育グループを立ち上げる

「自分で事業を立ち上げたい。」「立ち上げるなら海外がいい。」とずっと思っていた宮村さん。

 

32歳になると務めていた副校長の職を辞し、仕事の往来で現地の事情に通じ人脈も確立できたネパールにて日本語学校「フロンティア教育グループ」を立ち上げます。

 

今まで培った広報・副校長としての学校運営における経験を活かし、生徒募集や日本語学習指導、ビザ申請の書類作成サポートを行い憧れの日本へ学生を送り出す仕事。

 

うまくいくはず!!と楽観的に考え行動するタイプの宮村さん、しかしネパールという国は想像以上にコネクションがキーポイントとなる国だそうで、立ち上げ当初は苦労したとか。

 

コネクションのない宮村さんは政府機関から発行される書類の作成を後回しにされたり、要らないお金を要求されたりと、事業に支障がでるような事もしばしばあったとか。

 

しかし、バレーボールの神様が宮村さんの味方をしてくれます。

 

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「ボランティアでネパールの警察バレーボールチームを指導をしていたことがあり、その様子をたまたま視察に来られていた、日本でいう警視総監(警察組織トップ)の方に気に入られて、その後のネパール生活をバックアップしてもらいました。」

 

宮村さんは、その方に相談して仕事の進行がうまくいくよういろいろな便宜をはかってもらい、業務が順調にすすむようになったそうです。

 

怖がらずに前進する度胸とそれを継続し努力する人のところには、奇跡が起こるもんですね!!

 

もちろん宮村さんはその方と現在も親交があるそうです。

 

2021年で6年目を迎えるフロンティア教育グループ。

 

宮村さんは現在もコロナ収束後を見通し閉校していた支店校の再開準備や、商工会を通して大使館や政府機関への意見書を作成していると忙しい様子です。

宮村さんの今後の目標!!

宮村さんに、今後の目標をお聞きしました。

 

宮村俊一さん
宮村俊一さん
「ネパールの大きな都市に一つづつ学校をつくりたいと思っています。」

 

宮村さんの座右の銘は「上には上の上がいる」「Those who don’t give up survive.」(諦めない人が生き残る)だそう。

 

学生時代はバレーボールのスーパースター、教育関係のキャリアスタート3年目で副校長昇進と、一見、強運を持ち合わせていそうな宮村さん。

 

実は、とても忍耐強い方で、大学時代、警視庁時代、広報時代ととても記事にはできない苦労を経験しています。(本当にすごい話を聞かせてもらいました・・・)

 

しかし、座右の銘を信じ、行動し続けた努力が実っているのだと思います。

 

遠い沖縄から応援しております。

 

また、特定技能ビザの受け入れに興味のある方は、ぜひ宮村さんへご連絡してみてください。私の取材にも、本当に真摯に丁寧に対応していただきました。心から協力してもらえると思います。

 

お問い合わせは以下のホームページよりお願いします。

>フロンティア教育グループ

 

今回はネパールで活躍する、うるま市出身の宮村俊一さんをご紹介しました。最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

最後に、宮村さんZOOMで4時間に及ぶ取材対応ありがとうございました。いろいろな質問も笑顔で親切に答えて頂き本当に感謝です。

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